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緑の島、シチリア

「7月、8月の酷暑で干上がり、枯れ草色で覆われていた山肌や、山火事で黒焦げたままだった土地が、10月中旬ごろからひと雨ごとに緑の息吹をよみがえらせる。十分な降雨をうけて、2月、3月をむかえるころ、シチリアの山肌は緑色のカーペットをひきつめたように変容する」

 シチリア・タオルミーナ在住のほんともこさんは、著書『シチリアの風』(北の杜文庫)のなかでそう書いている。

 私たちがシチリアを訪れたのは4月の終わりから5月のはじめにかけて。まさに「緑のカーペット」がたおやかな丘陵を覆い尽くし、数ヶ月先の夏枯れに備えて、生き生きと成長する季節だった。

 緑の多くは牧草だ。5月2日朝、パレルモを経ち、島の南西部の街シラクーザに向かう Interbus の車窓からは、丘の頂きに向かって上る放牧路、草をはむ羊や牛の群れ、石造りの作業小屋などが見える。どこかに赤茶けたイベリア半島の大地のイメージがあったのだろう、シチリアがこれほどまでに豊かな緑の島だとは正直考えていなかった。窓外の風景に目を奪われ、まったく苦にならない3時間強のバス旅である。

 今回はシチリア初体験ということもあり、私たちは滞在をパレルモ、シラクーザ、タオルミーナの3箇所に絞ることにした。他にも、西部ではモンレアーレ、トラパニ、セリヌンテ、アグリジェント、東部ではノート、ラグーサ、内陸部ではエンナやカルタニセッタなど、訪れてみたい街はいくつもあったが、今回は諦めた。レンタカーを使えば、もっと効率的に街を回れるし、実際、そのような旅をする観光客もたくさん見かけた。

 しかし、私たちは頻繁な移動は敬遠し、滞在を重視することにした。見逃した街は、また来ればいいのだ。

 シチリア島内の移動には鉄道も使えないことはないが、便利さでいったらレンタカーかバスだろう。なかでも都市間を縦横に結ぶ長距離バス(pullman)は本数も多く、安上がりだ。ただ大きな都市の市街に入ると交通渋滞に見舞われることもあるので、ゆとりのある旅程が必要だろう。

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Plain_wht_Up.pngシチリア島内陸部の風景P1020736.JPG
Plain_wht_Up.pngInterbus社の長距離バス。パレルモ→シラクーザは14。シラクーザ到着後、終点のバス停でオルティージャ島を周回する無料バスに乗り換え、島の中心部に向かった

コンバージョンの歴史

 古来、地中海の要衝であったシチリア島では、さまざまな民族や政体が覇を唱え、勃興しては没落するという変転の歴史を3000年にわたって刻んできた。

 シラクーザの街を例にとれば、街の中心部オルティージャ島 Ortigia にあるドゥオモ(大聖堂)の基礎石は、紀元前530年に建てられたアテネ神殿の遺構だ。ドゥオモ前の広場はギリシア時代のアゴラの名残である。いずれもこの街がかつては古代ギリシアの植民都市であったことを物語っている。

 港に近い一角にも、ギリシア時代のアポロン神殿の遺構がむき出しになって残っている。素人目には一見、倒壊した瓦礫の集積のようにしかみえないのだが、その由来を調べるとなかなか面白い。
 最初の建築は前6〜7世紀だったが、その後、ビザンツの教会に転用され、ついでアラブのモスクに、そしてノルマン時代に再び教会となり、最後にはスペイン支配下で兵舎に転用された。19世紀半ばにその兵舎跡を発掘すると、まるでタイムマシンをさかのぼるごとく、各時代の建築の断片が発見されたという。

「ひとたびつくられた建築は、その後、修復・再生を繰り返し、価値を加え、時代のなかでたくましく生きつづけてきたケースが多い。特に石造りの地中海世界の建築はなおさら、こうして興味深い歴史を体験してきたのだ。コンバージョンの歴史と言ってもよい」

 と、陣内秀信氏は指摘する(『シチリア──<南>の再発見』淡交社)。

 むろんコンバージョンやリノベーションを通して、建物に価値を与え続けるのは各時代の人々の意志であろう。オルティージャ島の中心部が、こうした歴史の堆積を街のアイデンティティとして自覚し、世界遺産登録に至るツーリズムを産業基盤にするようになったのは、比較的最近のことだという。


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オルティージャ島内の歴史的建築

(上左から順に)
1. ドゥオモ Duomo 16世紀、17世紀の大地震を経て18世紀中葉に再建された。ファサードはバロック様式だが、もともとは前5世紀に建てられたドーリス式のギリシア神殿
2. ドゥオモ内部
3. アレトゥーザの泉 Fonte Aretusa 妖精アレトゥーザが泉に化身して、求愛する河の神アルフェィオスから逃げたという神話の舞台。沸き上がる地下水はイオニア海に注いでいる。泉にはパピルスが生い茂り、アヒルが羽根を休めている。18世紀には公共の洗濯場として使われていた。周辺は最高の散策スポット
4. これも古代の建物の跡。ギリシアだったか、ローマだったか……。ビルとビルの間、路地の一角に唐突に古代文明の遺構があらわれる。いまは猫の一家が棲みついている。

紺碧の空と海と、サミット

 オルティージャ島の南端には、マニアーチェ城 Castello Maniace という昔の城塞跡がある。建設は1239年ごろ。
 私たちは知らなかったのだが、ここを会場に2009年4月、G8環境サミットが行われたということで、その記者会見場や参加国の旗などがまだ残されていた。通常は有料だが、サミット記念ということで無料で入ることができた。幸いにもこの日(5月2日)のシラクーザはよく晴れて、会場に敷き詰められた白い砂と青の絨毯、茶褐色の城塞、そして地中海の青い海と空の色が絶妙のコントラストを見せていた。
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Plain_wht_Up.png路地のすきまにも潮の香りが

夕陽に染められて、祭りの予感

 オルティージャ島は、シラクーザの本土から出島のようにイオニア海に突きだした島だ。本土とは2つの橋で結ばれている。外周は2.5kmほどしかないので、のんびり歩いてもすぐに一周してしまう。中心部の入り組んだ路地を巡るのもいいが、夕方になったら海岸沿いに戻ろう。とりわけ、島の西側の散歩道がいい。イオニア海を赤く染めながら、シチリアの丘の向こうに落ちていく夕陽がたとえようもなく美しいからだ。

 この日は陽がすっかり落ちた後も、街は遅くまで賑わっていた。ブティックが並ぶメインストリートの マッテオッティ通り Corso Matteotti は神戸ルミナリエのようなイルミネーションで飾られている。翌日になにか祭りがあるらしいのだ。

 祭りの予感に浮き立つのだろうか、地元の人も観光客も遅くまで島内のそぞろ歩きを楽しんでいるようだった。こうした散歩をイタリア語では「パッセジャータ passeggiata 」というそうだ。そういえば、ポール・セローが『大地中海紀行』(NTT出版・1998年)のなかでこう書いているのを思い出した。

「週末の夜ともなると、オルティージャ島の道路にも広場にもあらゆる年齢層のシラクーザ市民がくりだした。小さな子供を連れた家族、恋人たち、少年のグループの気を引いている少女のグループ、チンピラ、がみがみ𠮟っている黒い服の老女たち、サングラスをかけた老ペテン師たち。犬の散歩をさせている人もいれば、猫を抱いている人、幼児を乗せた乳母車を押している人もいた。
遺跡にも店にもピザ屋にも、人が群れをなし、アイスクリームやキャンディなどちょっとしたものを買っていた。みんななごやかだった。盗みや喧嘩の気配はなく、和気あいあいとした雰囲気だけがあった。
……まるでカーニバルのように、夕方暗くなってから十一時ぐらいまで、ちゃんとした身なりの人たちが楽しそうに行ったり来たりし、噴水のまわりや広場に群がっていた……それは、電話や都市の犯罪や車社会がどこかで失ったものだった」(中野恵津子訳)

  セローにしては珍しく、皮肉味の少ない、率直な感想だ。

  祝祭の街のパッセジャータに、私たちは翌日も出会うことになる。

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Plain_wht_Up.pngボートでイオニア海に乗り出し、海からオルティージャ島を眺めるクルーズもある

icon_bl_02.pngシラクーザ Siracusa

シチリア島東岸に位置する都市で、シラクーザ県の県都。人口は約125,000人。沖合の小島オルティジア島(Ortigia)もシラクーザの一部。シラクーザ周辺には、カターニア、ノート、モーディカ、ラグーザといった都市がある。2005年には「シラクーザとパンターリカの岩壁墓地遺跡」の名で世界文化遺産に登録された。
 古代ギリシアの数学者アルキメデスの故郷、太宰治の『走れメロス』の舞台でもある。ジュゼッペ・トルナトーレ監督・モニカ・ベルッチ主演の『マレーナ』(2000年)など、多くのイタリア映画のロケ地にもなっている。。
 日本では「シラクーサ」「シラクサ」と表記されることも多いが、現地語発音に近いのは「シラクーザ」だと思う。
 ちなみに米ニューヨーク州には Syracuse(シラキューズ)という地名がある。ここにはコーネル大学があることで知られる Ithaca(イサカ)という小さな町がある。私たちが泊まった B&B と由来を同じくする地名だ。おそらく、シラクーザ出身の移民が名づけたのだろう。


ンタ・ルチア降臨!

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 5月3日の日曜日。ホテル前のアルキメダ広場で遅い朝食をとっていると、なにやらマッテオッティ通りの向こうからマーチングバンドの音。この日は、シラクーザの守護神サンタ・ルチアのお祭りの日なのだ。聖ルチア祭の本番は12月13日だが、この時期にも、ドゥオモ隣の教会に納められた聖ルチア像のお披露目の儀式があるのだという。そのうち、中世風の衣装に身を包んだパレードが、旗手を先頭に見えてきた。

 軽やかに旗を空中に振り上げそれを受け止めるパフォーマンスの旗手の一団、それに続いて貴族風、農民風の衣装に身を包んだ若い男女、騎馬隊、馬車がしずしずと行進する。地元の人も観光客もわらわらと集まってきた。パレードはアルキメデ広場を抜け、ドゥオモ広場のほうに細い道を進んでいく。私たちも、子供のようにはしゃぎながら、その後をついていくことにした。

 正午ともなるとドゥオモ広場は千人はゆうに超える山のような人だかり。暑い陽射しを浴びながらも、教会から運び出される聖ルチア像をひと目みようと押し合いへし合いだ。

 聞いたところによると、聖ルチア像はふだんは教会の奥にしまわれているが、この日は広場の前に運び出し、本来のお墓がある本土側の教会まで移すのだという。つまり「ご開帳」の日というわけだ。

 街中に貼り出されていたポスターを解読すると、シラクーザと Erchie(同じ聖ルチアを守護聖人に戴くプーリア州の街)との姉妹都市提携を記念するという意味も込められているらしい。

 祭りの由来をそれ以上は深く詮索せぬままに、私は、ひたすら写真を撮っていた。能書きよりも目の前の光景だ。意図してスケジュールを調整するのでなければ、こうした地元のお祭りに出くわすことはなかなか珍しい。なにより、パレードの女の子たちが可愛らしかったので、写欲が猛烈に刺激されたのだった。














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Plain_wht_Up.pngワゴンの上の少女。中学生か高校生かという感じ。



 そのうち、緑の帽子をかぶったカトリック関係者らしい一団がドゥオモを警護するように集まり始めた。テラスの上からは大司教のような人が説教を始める。拍手とともに「サンタ・ルチア!」の連呼が群衆から湧き起こる。まずは小さな聖箱のようなものを戴いた御輿が担ぎ出される。一斉に鳩が放たれ、緑色の風船が舞い上がると、いよいよ銀色に輝く聖ルチア像がドゥオモのなかからお出ましだ。
 祭りはクライマックスシーンを迎えた。

P1030030.jpgPlain_wht_Left.png人々に担がれ、ドゥオモ広場をゆっくりと横断する聖ルチア像。

 帰国後に映画『マレーナ』を見返していたら、少年の妄想シーンのなかに、これとそっくりな一コマがあるのに気づいた。少年が御輿の上に幻視するのは、ルチア像ではなくマレーナ(モニカ・ベルッチ)その人なのである。
 聖女へのオマージュ。トルナトーレ監督は、実際にシラクーザの聖ルチアの祭りを見たことがあって、それをモチーフのなかに織り込んだに違いない。

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