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山あり、海あり。リゾートのテーマパーク
タオルミーナの卓越した自然景観は、エトナ山と密接な関係がある。かつて火山から噴出した溶岩流が海に向かって落ち込む溶岩台地を形成した。それが何万年もの風雨によってノコギリのように浸食された。タオルミーナは浸食を免れた溶岩台地の先端の断崖の上に開けた都市なのだ。海岸は断崖のはるか眼下に小さくみえる。
タオルミーナの美しさに最初に気づいたのは、紀元前8世紀に植民を開始した古代ギリシア人だった。タオルミーナの古代ギリシア劇場 Teatro Greco はシラクーザのものよりも規模は小さいものの、舞台の背景にエトナ山とイオニア海の壮大なパノラマを借景した構造は、西洋演劇空間の傑作ともいわれる。
こうした古代都市の一面をもつ一方で、石畳が続くウンベルト通り Corso Umberto に沿った市の中心部には、中世都市の面影が色濃く残されている。9世紀にはビザンツ、10世紀にはアラブ、ノルマンの支配を受けながら、そのたびに街区は発展し、タウロ山 Monte Tauro を頂点とする急峻な丘の斜面全体に都市を広げてきた。
中世の市街地の西端を示すカターニア門
温暖で風光明媚なシチリアの田舎町は、近代になると西・北ヨーロッパの人によって「再発見」されることになる。とりわけ20世紀初頭のイギリスの金持ちたちは避寒地としてこの街を愛した。
この間の事情をポール・セローは少々皮肉をこめてこう書いている。
「タオルミーナは、エドワード朝時代の人々によって、退廃的に遊び暮らす場所として目をつけられた。……ここもまたイギリス化されたイタリアの海辺の行楽地であり……かつては、おもにヨーロッパ北部から避寒に来る外国人たちのスキャンダルが渦巻く街として名を馳せていたのだ」(『大地中海旅行』)
その頃は、避寒の客が多いため、夏はホテルが閉鎖されていたというが、今はそんなことはない。むしろ、海辺の島イソラ・ベッラ Isora Bella などの水遊びを楽しむ避暑の観光客が多いはずだ。
映画になる街
夏のリゾートの印象は、私たち日本人には、映画『グラン・ブルー』(リュック・ベッソン監督 1988年)でさらに強まったかもしれない。タオルミーナで開催されるフリーダイビング競技会。そこで出会ったエンゾ、ジャック、ジョアンナの3人の運命の物語。実際、タオルミーナのビーチでは「映画のロケ地でダイビングしませんか!」とダイビングショップが呼びかける、日本語の看板さえ見かける今日この頃である。
あるいはもっと前の映画世代にとってはアラン・ドロンの『太陽がいっぱい』(ルネ・クレマン監督 1960年)か。海辺のロケはナポリ湾に浮かぶ小島イスキア島で行われたが、金持ちの青年フィリップがお金を降ろして保養に出かけていく先はタオルミーナである。
古代から現代までそれぞれの時代のロマンを刻印する建物と家並み。壮大な活火山、美しい海辺や丘のビューポイント、お城のように豪勢なホテルや、それが提供するさまざまなアクティビティ。それらに加えて、珍しい草花に満ちた公園、あるいは夕暮れの街にほんのりと灯る街灯のセンチメンタリズムがあれば、まさにここは無敵のリゾートだ。タオルミーナはあまりにもよくできたテーマパークのようでさえある。
辻邦生のタオルミーナ
辻邦生は1989年に出版されたイタリア紀行『美しい夏の行方』(中央公論社)で、タオルミーナを、妖艶な美貌とともに高い教養の持ち主でもあった、パリの高等娼婦(ココット)になぞらえ、こう語っている。
「彼女たちは舞台を日常生活に置き換えた女優と言ってもいいだろう。彼女たちは人生における仮象の意味を身をもって語っている。彼女たちが存在の高貴さに達するのは、この徹底した非現実性、非生産性の点で貴族に似ているためかもしれない」
「ぼくがここでココットについて書いているのはシチリアにそうした種類の女がいるということではなく、シラクサのあとに訪れたタオルミナの町が現代ではほとんど見られなくなったこの高等娼婦性を実に見事に現しているからである」
タオルミーナの何がココットに似ているのか。
辻はタオルミーナの地形やウンベルト通りにつづく迷路状の横丁、高級ブティックやレストランがひしめく様子を正確に描写しながら、
「地中海には名だたるリゾート都市は多い。たとえばサン・トロペ、モナコ、カンヌ、ドブロブニック、サン・レモなど挙げればきりがないが、酔わせるような濃厚な南国的気分と、贅沢で放埒な官能性を漂わせる点では、タオルミナはその一、二を争うだろう」
「ここには日常生活というものは全く切り棄てられ、すべて快楽を高めるための効果として作られている。そのプロ意識はなかなか見事というほかない」
と述べている。
タオルミーナに「贅沢と放埒」を感じたのは、ポール・セローも同じだが、都市の官能性までを嗅ぎ取ったのは、辻邦夫の嗅覚のなせる技だろう。
私は彼ほど鼻がきかないし、日常生活が全て切り捨てられているというのは言いすぎのようにも思うが、それでも濃厚な南国的気分に酔ったのはたしかだ。
そう、この街では、ただひたすらぽけっ〜と、澄み切った海と空の色、艶やかな花々の香りに酔えばいいのだ。その痺れるような感覚が、体中にゆったりと浸みわたるまで。まあ、そのためには最低1週間ぐらい滞在しないとダメかもしれないが。
非現実で、テーマパークのようでさえある地中海リゾート。しかし、私はその雰囲気がそんなに嫌いではなかった。いかに好条件を揃えたテーマパークのようであっても、それはけっしてハリボテではなく、時代の風雨にさらされて生き残った、リアルな街の息づかいをともなっていたからである。
D.H.ロレンスと志賀直哉?
なんかタオルミーナの観光案内は全然しないで、文学者の引用ばかりになってるな。旅行記を書くのに飽きたからではない。タオルミーナで夢のような3日間を過ごしたあまり、頭が蕩けて記憶が曖昧になっているのだ(笑)。
ま、いいや。
さらに文学の話をつづけると、タオルミーナにやってきた20世紀初頭のイギリス人のなかには、『チャタレー夫人の恋人』を書いた D.H.ロレンス もいた。私たちが泊まった B&B のある住所はまさに、Via D. H. Lawrence(D.H.ロレンス通り)であり、この通りのいずこかに彼の宿があった可能性がある。
ロレンスはタオルミーナで「蛇」という詩を書いたという。水飲み場に現れた金褐色の蛇を、棒で殴ろうとし、逃げられてしまう。その後に「蛇=生命の王のひとり」と出会う機会を永遠に失ったことを悔やむというものだ。
ロレンスが蛇との出会いを悔やんでいたちょうどその頃、日本の城の崎温泉では、志賀直哉がイモリに石を投げつけて殺してしまい、「生き物の寂しさ」をじわ〜んと実感していたりした。
リゾートとか温泉ってのは、小説家に無為の時間の至福をもたらすどころか、逆に妙に深刻な思考をうながすものなのかもしれない。まあ、暇になると人間、いろいろ考えるものだからなあ。
タオルミーナへのアクセス
シラクーザからはバスでタオルミーナへ向かった。まずオルティージャ島の島内巡回ミニバスでプルマンの停留所へ。タオルミーナ直行のバス便がないので、ひとまずカターニアへ向かうことにする。
11:30シラクーザ発のASTバスは約1時間半で国鉄のカターニア中央駅前のロータリーに到着。そこから道路を隔てて3分ほどのところにタオルミーナ行きのバスが出るInterbus/ETNAのバスターミナルがあった。ちなみに AST、Interbus、ETNAはいずれもバス会社の名前である。
タオルミーナ到着直前は、入り組んだ海岸線を見下ろすうねうねと続くいろは坂。アマルフィ海岸に劣らぬ絶景が楽しめる。タオルミーナ着は15:10。バスターミナルからホテルまではタクシーで向かう。けっして歩けない距離ではなかったが、坂道だったし、荷物もあったので。
なお、タオルミーナへはカターニア空港からバスが出ている。メッシーナ、シラクーザから鉄道で入る方法もあり。
コルヴァヤ館 Palazzo Corvaja は11〜15世紀の複合建築
4月9日広場 Piazza IX Aprile には見晴らしのよいテラスがある
細い階段の路地にショップやレストランが
ビクトリア朝の骨董品を売る店
果物を精巧に真似たシチリア風マジパン「フルッタ・ディ・マルトラーナ」
シックな高級レストランの入口
大聖堂。13世紀の創建で、16、18世紀に改修されている
タオルミーナで最もよく保存されたノルマン時代の邸宅
メッシーナ門につづく道

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タオルミーナつづく